日記

2022-06-24 11:56:00

雨を楽しむ絵本

雨を楽しむ絵本

 

 

梅雨の時期に入りました。梅雨は本来、雨の日が約一か月間も続きます。コロナ自粛の後で外に出たいのに、なかなか出られずに残念な気持ちの方もきっと多いと思います。

 インドで雨季になるこの時期に、仏教では安居(あんご)という期間を設けます。水が多いので外に出ると知らぬ間に虫などを殺生することを避ける意味もあり、お堂に籠り修行三昧をするのです。この安居が明けて初めて本格的な夏がくる解夏(げげ)になります。 

この時期は修行者にとっても体力を増進し知力も蓄え、次の修行に備える大切な時期でした。

長雨は、人間にとってはどこかじめじめして鬱屈した気持ちを連想させますが、虫や植物にとっては、豊富な水分を吸収して成長をするものも多く、大切な時期なのです。

 雨も見方によっては恵みになる。そんな雨の時期に最適な絵本を思い出しました。

雨、あめ』 作:ピーター・スピアー  評論社

 

ピーター・スピアー、私の大好きな作家の一人。作品には、言葉が入っていないものが多いのも特徴です。1978年にコールデコット賞を受賞した『ノアのはこ舟』も言葉が入っていません。でも、細かくて落ち着いた色使いの絵は、十分に物語を語ってくれます。

彼の描く絵本は、兵役を経験したり国を移動したりした苦難を心の糧に変えた、深い人間性を感じさせるものが多いように思います。細かな絵の表情一つ一つが、彼の追及するリアリティーを表しているように感じます。

1927年生まれの彼はユダヤ人であったために強制収容所で生死の境を乗り切ったそうです。深い悲しみとその中で夢見た希望が、どの絵本からも見て取れます。

絵本を味わう上で、表紙の裏にあたる見開きの部分に描かれている絵も大切な要素です。この絵本の見開き2Pには、少し曇りがかった空。雲の間から太陽の光が差し込んでいる果樹に囲まれている庭。ブランコや小屋、ビニールプール、5歳くらいの姉と弟がバケツの水を使って土遊びをしている様子が描かれています。

次第に暗くなってくる空。鳥たちが急いで安全な場所に向かっています。風が洗濯物を大きく揺らしています。ついに、雨が降ってきました。

子供たちは頭を手で隠し、雨に濡れながら急いで玄関へ走ります。そこには指をたてて手招きするお母さん。落ち着いて笑顔で迎えているお母さんには、彼らの楽しみに関係がある何かアイデアがあるようです。

子供たちは、濡れた服を脱ぎ散らかして、服を着替えると、用意されていたカッパを着て、お傘を持って再びどしゃぶりの雨の中へと走っていきます。

カッパを着て、傘をさせば、どこにいっても平気。 兄弟は雨の中、人がいなくなった世界を存分に楽しみます。一輪車にたまった水を流したり、さかさまのボートの下で雨宿り、池の鳥たちにえさをやります。池の鳥は雨がふっても気持ちよさそうです。そして子どもたちは、雨の中では、世界が美しく変化することも発見します。

雨粒をつけてシャンデリアのように輝く蜘蛛の巣、道を流れる小さな川になった雨、車の下で雨をしのぐ大きなネコ。

 

雨と風が強くなって、世界を灰色に変えています。二人は飛ばされそうになりながら、もちろん傘も壊れて、帽子を押さえて走って玄関に飛び込みます。

そんな二人を、お母さんは玄関にいて笑顔で迎えてくれました。

二人は濡れた服を脱いで、用意してあった温かいお風呂に飛び込みます。お母さんは、長靴の水を捨てて、濡れた服の塊を洗濯にまわし、お風呂から上がった二人のために、暖かい飲み物とクッキーを用意して待っています。そして、雨の中での心躍る体験を、お茶をのみながら聞いています。

まだ外は激しい雨で少し暗く見えます。二人は大きめのソファーに座って絵本を読んで、気まぐれに外の景色に目を凝らします。そしてまた積み木遊び。お母さんは台所で夕食の支度をしています。

夕食の風景。家に帰ってきたお父さんがテーブル中央に置かれた皿の肉を切り分けています。他のボールに盛られたおかずからも美味しそうな湯気がたっています。笑顔で食事をしながら雨の中のことを話しているのでしょうか。

その後、二人はビー玉で遊んで、テレビ番組を見て、そしてまた土砂降りの外の景色をじっと見ます。お母さんと一緒に寝る準備をした後も、二人は寝室の窓から外の世界をじっと見つめます。

風に揺れる木々、車のヘッドライトに浮かび上がる流れる雨の川、傘を差して犬の散歩をする人、雨に反射して不思議に明るい街頭の光・・・雨はいよいよ激しく夜の闇に幕を下ろしています。

 

次の朝、雨は上がって晴天が広がっていました。雨が残した雨粒が、朝日をいたるところで反射させています。カーテンを開けた二人。明るい光が窓から入って来て、二人の影を作っています。

最後のページの明るい世界。なんと裏の見返しを大胆にも使って描ききっています。普通の紙のページより厚みのある裏表紙に描かれた絵は、重厚でどっしろとしていて、気持ちの上でも立体感があり、作家が何を描きたかったのか、言葉なく十分に語ってくれます。

そしてそこに描かれている絵の明るさ、新しさ、昨日、遊んだ庭は、どれも光っていて、空を行く鳥やリスも嬉しそう。親鳥がさっそくミミズを捕まえて巣に運んでいます。

 

 

 

ふたりの姉弟が雨の中で遊んで、家に帰って、休み、次の朝を迎える。物語の筋は誰でも想像できる少し変わった一日の出来事です。心地の良い流ですが、スピアーが描きたかったことは、雨の中の意外な発見、自然の見せる美しさ、雨上がりのお風呂の気持ちよさと温かい家、家族団らんのありがたさ・・・本当にそれだけでしょうか?

 

優れた作品は、人生の真理を描いています。そして真理とは色んな角度から光を充てても輝きかえしてくれるものです。そういう意味で、真理を描いているこの物語に対して、私は私なりも解釈を加えたいと思います。

 

私は、この物語の隠れた主人公は、お母さんではないかと思います。

きっと彼女も、同じように雨の中でずぶぬれになって遊んだことがあったのでしょう。服にしみこむ雨の冷たさを感じ、普段の生活の中でしつけられる正反対のこと、雨に濡れる楽しみを味わう為に服を濡らして、非現実のまるで野生の動物にでもなったような興奮を味わったことが。そして、想像を広げればそれをおおらかに笑って見守ってくれた大人がいたのかもしれません。

そんな記憶が、子どもが雨の中から帰ってきた時「雨で服を濡らすことをしかって、きちんとした立ち振る舞いを学ばせるよりも、もっと大切なことがこの時期にはある」ことを、彼女に思い出させたのではないかと想像するのです。

 

そして、思いっきり遊ばせたあとに、お風呂を準備して暖かく迎える彼女は、自分の夢を子どもたちと共有したことで、以前とは違う、大きな母性の伝統に励まされる新しいお母さんになったのではないのか、私はそんな風に感じるのです。

 

そして、作家が伝えたかった重要なメッセージ。それは、母親の小さな人に対する敬意と愛情によって、観るもの聞くものが全く違ったものになるという事実ではなかったでしょうか。

この二人の子どもが、闇の中でも昼間のように広がりのある世界を発見し、しっとりと静かな息遣いで雨を過ごす生き物を感じ、雨で不思議に変化する自然の色合いの物たちに目を見開き、不思議で魅惑的に光を放っているように車のライトが見えたのは、その体験をお母さんの暖かな思いやりで包み込んでいたからでした。

もしも、二人がお腹を空かせて、雨の中を悲しい気持ちでお母さんの帰りを待つ状況であったら。もしくは、家から追い出されて仕方なく雨の中をとぼとぼと歩く状況であったら、もし、お母さんが、自然に触れて美しさを実際に感じる事を大切に思うよりも、雨で洗濯物を増やさないことを大切に思う人だったら、雨の中に出ることを「馬鹿な事を!」と怒り、きちんとした立ち振る舞いを学ばせることを優先する人だったら・・・目の前に広がる雨の風景は悲しく、暗く、うす寒い記憶を残したでしょう。

「どんなに素晴らしい風景でも物でも、出会うタイミングや、それを紹介する大人の意識でまったく別のものになってしまう」作家は、小さい人を育む大切さと無限に広がる可能性、その人生に対して大きな影響を与える大人の責任を、静かに問うているように思います。

お母さんの愛情が育んだ彼らの経験は、確かに彼ら自身が気づかないうちに美意識を育てていました。最後のあの活き活きとした、初々しい程輝いた朝の風景は、それが昇華された証でもあります。

 

極限を体験し、収容所でドイツ軍に協力したと風評を受けて逃げるようにアメリカへ渡った彼が、絵本を通し、生きる希望を何に託して伝えようとしていたのか。家族の当たり前の何気ない風景こそ、彼が最も大切にしたかった、小さな平和の具体象ではなかったのかと感じます。

 

この絵本には言葉がありません。是非色んな言葉をつなげて、それぞれの家庭で味わっていただきたいと願っています。

 

                                蓮岡 修

              (『ぶっくくらぶ通信 92号(20206月号)』より)

 

 

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